[自分は教わり上手だったか/教わり上手であるか]
こういうことすら実は考えたことのなかったわたしなのですが、
10代・20代とわたしを「教えて」くれたのは師匠です。
よく言い合いにもなりましたし喧嘩のような状態にもなりました。
今思えば、よくもまあ見捨てずにこれまで指導してくださったものだと思う。
ちなみにわたし。
たぶん、「楽しそうな表情」ではなく、頭の上に「疑問符」を散らかしながら、
ときには「不服そうな」「納得のいかない」表情なんぞかましていたと思う。
ただまあ「先生、教えてください!」というのはすぐに聞いてた。
聞いた場合、たいてい宿題が出されるのだけれども、
それが悔しくて、まあ寝る間も惜しんで宿題をしてました。
で、お礼を言いつつ「できました!」などと得意満面に言った日には、
さらにレベルアップされた宿題が出されるという・・・。
ええ、決して「教わり上手」ではなかったと思います。
■教え上手より、教わり上手になろうここにも書かれていますが、「楽しさ」「素直さ」「感謝の気持ち」。
うむむ・・・自分はなかっただろうなあ・・・。
わからないこと・疑問に思っていることを知りたい、
知ったら楽しい、ということはデフォルト装備はしているのですが、
師匠とのやりとりは真剣をもっての(もたれての?)斬り合いに近く、
しばしばズタズタに切り裂かれては、なにくそと立ち上がり、
立ち上がった瞬間にまたしてもトドメを刺される。まあそういう感じ。
よほどのM体質でなければ身が持たないわけで、
けれども知らないことは知りたい・聞きたいで今まで来ました。
でも、教える側にとっては、
「楽しく」「素直に」「真摯に」「感謝の気持ちをもって」
学べる姿勢のある人って、教え甲斐というか教えてよかったという気持ちになりますよね。
どうしてこういうことをふと考えたのかと言うと、
どうしても教える気が削がれる人に何人か出会い、その一方で、
この人なら、といろいろ話したくなる若い人たちに出会うようになったからです。
たしかに。
いろいろなことを説明したくなる人というのは、
素直であるし前向きであるし、一伝えたら五以上咀嚼して返してきた、
みたいなそういう人が多いですし<自分には若い頃、こんなことはできなかった
一伝えて理解は・・・という人でも、その一に必死に取り組む真摯さがある、
そういう人には、「あのね・・・これこれはね・・・」と言いたくなる。
ま。聞かれないかぎり何にも言わないのがわたしなのですが。(´<_` )
さて、「教わり上手」ではなかった人間が「教え上手」になれるのか、
というお話しです。疲れたので、明日に続きを書くことにします。ではまた。
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>アパパネ復活はしてほしいですけど、
>このところあまり良くないですよねぇ。
>ということで私は低い評価になってしまいました。
わたしも個人的には「本命」としたかったのですが、「対抗」で。
戦績があがっていけばいいですねえ。
>私の本命は追加でおさえてもらったので、ちょっとホッとしてます(^^;
おお!アプリコットフィズですか!
ずっと仕事をしてました。いまからお邪魔します♪